Posted at 2007.02.09 Friday | こころ
出不精の私なのですが、それでもHPのおかげ様で随分と楽しく面白く不思議な出会いが続き、苦手な「書く」ということがどんどんどんどん後回しになっていました。ちょっと反省しつつ…
今、流行りの「脳トレ」やるなら「脂肪トレ」じゃあないけれど、暖冬に緩んだ心身を引き締めようと、就寝前のメニューの一つとして友人から教わった「音読」を始めることにしました。
手ごろなのは”詩集”では、と探すともうハードケースがぼろぼろになってしまったのが1冊。竹馬の友が誕生日にプレゼントしてくれたものです。
(ありがとう。これからも大切にしていきま〜す♪)
その中の一篇が今日の記事のタイトルで、
日本女流詩集(なんと16人!)の中から選び、そこを出て引っ越すまで、ず〜っと部屋の壁に貼っていました。
随分懐かしく、旧友でもある連れ合いに聞くとちゃんと覚えててくれました。(ホッ)
当時の”想い”にこの○数年分の”想い”をプラスして、あらためてこの詩を大切にするとともに、音読タイムでを新しい詩との出会いを楽しんでいきたいものです。
石垣りん
それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初(ごうしょ)からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり
台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意の前にはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。
日本女流詩集『翼あるうた』童心社−より

